ハッカーの系譜(9)オープンソースの巨人たち (8) 時給6.85ドルのアルバイトが作ったブラウザーが世界を変える
アンドリーセンが注目したのが「ウェブ」だった。
ウェブはHTMLという書式に従って指定をすれば、文字情報と図を混在させて表示ができる仕組みだ。
当時、Webは今日の電子書籍用のePubに近いイメージで、論文をインターネット上で閲覧することを目的として開発された。
このウェブを閲覧するためのツールもいくつか開発され始めていたが、それもUNIXコマンドを駆使しなければいけないものばかりだった。
「写真や文章を見るのに、なんでこんなたくさんのUNIXコマンドを使わなければならないのだ?」。
そう考えたアンドリーセンは、マウスだけで操作できるウェブ閲覧ソフトウェアを開発した。
これが1993年1月に公開された「Xモザイク」だ。
ブラウザーと呼ばれるジャンルのソフトウェアが誕生した。
モザイクは、ベータ版0.5としてNCSAのサーバーで公開され、だれもが自由に(インターネットにアクセスさえできれば)ダウンロードして使うことができた。
しかも、ソースコードも同時に公開されていた。
これはUNIXコミュニティーの伝統にそったやり方だった。
使ってみてバグを発見した者は、ソースコードを確認し、どこに問題があるかをNCSAに電子メールで伝える。
アンドリーセンたちは、それを整理して、モザイクを完成させていく。
NCSAでは、このやり方は「ラピッド・プロトタイピング」と呼ばれていて、開発時間と開発コストを大幅に削減する手法としてよく使われていた。
UNIX版モザイクの公開が順調に進んだため、アンドリーセンはすぐにWindows版、Macintosh版のモザイクを開発することにした。
このモザイクはブラウザーとして大成功をした。
モザイクチームを率いるアンドリーセンの元には、モザイクユーザーからの電子メールが1日600通も届くようになった。
アンドリーセンは、そのすべてに目を通し、可能な限り返事を書いた。
このような電子メールの中に、モザイクの開発のヒントが眠っていることに気がついたからだ。
「電子メールで要望を送れば、モザイクチームはすぐに対応してくれる」。
次第に、モザイクチームはネットコミュニティーで「クールな集団」とみなされるようになっていった。
同時に、モザイクチームは、自分たちのモザイクが世の中に与えている影響と、自分たちの報酬が見合っていないことにも気がついた。
毎週120時間も働きながら、時給8ドル85セントのままだったのだ。
しかし、NCSAの管理職たちは、モザイクチームがネットでヒーロー扱いされることをよく思わなかったようだ。
確かに、モザイクの開発費は公的な研究費から支出されているので、チームにじ充分な報酬は出せなかったし、ただ開発するだけでなく、モザイクを軸にしたさまざまな社会的研究も並行し行わなければならなかった。
NCSAの管理職から見れば、モザイクチームはデジタルヒーローではなく、実験器具を製造するテクニシャンにすぎなかったのだ。
管理職たちは、モザイクユーザーからの電子メールをアンドリーセンが直接読むことを禁止する措置にでた。
モザイクチームに寄せられるメールの数が急増したため、アンドリーセンが本来の仕事ができなくなっている。
別の担当者を用意して、メールの内容を報告書にしてモザイクチームに渡した方が仕事が捗るという理由だった。
しかし、アンドリーセンにしてみれば、メールはアイディアの源泉だった。
それこそが「本来の仕事」だったのだ。
アンドリーセンは、自分の理想通りに仕事ができる環境を探し求め始めた。