テトリスの生みの親が語る パズルゲームの未来

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1980年代から90年代、ゲームセンターや家庭用ゲーム機で一世風靡したパズルゲームの代名詞、テトリス。
旧ソ連で生まれたこのゲームの開発者、アレクセイ・パジトノフさん(61)が取材に応じ、開発の経緯やテトリスの未来について語った。

テトリスは4つの正方形を組み合わせた棒状やT字状など7種類のブロックを横一直線に並べて消していくパズルゲーム。
上から急速に落ちてくるブロックを回転させたり、左右に動かしたりして並べて、棒状のブロックを使って4段を一気に消すなどの技を駆使して、当時のゲーマーは高得点を競った。

日本では昭和63年にセガ・エンタープライゼス(現セガ・インタラクティブ)がゲームセンター用のゲームとして発売したのを皮切りに、任天堂の携帯型ゲーム機、ゲームボーイが発売された当初のゲームとしても大ヒットした。

モスクワでコンピューター科学者をしていたパジトノフさんは、1984年に最初のテトリスを開発した。
「もともと、パズルが好きで、木の枠に5つの正方形でできたブロックをはめていく『ペントミノ』というパズルをどうやったらコンピューターゲーム化できるかを考えた」という。
ただ、ペントミノは、テトリスよりも多い5つの正方形を組み合わせたブロックを使うパズルのため、複雑になりすぎると考え、4つの正方形を組み合わせたブロックに変更。
さらに、その後のパズルゲームに大きな影響を与えた、上からブロックが出てきて下に落ちていくという「落ちモノ」パズルのルールを考案して採用した。

落ちモノパズルは、テトリス以降のパズルゲームの定番となり、90年代の日本のゲーム業界の一大ジャンルとなった。
パジトノフさんは「『コラムス』、『ぷよぷよ』、『ドクターマリオ』、全部好きです。
でもテトリスがもちろん最も好きです」と笑う。

パジトノフさんは96年に米国に移住し、米マイクロソフトでゲーム開発に携わった後、現在も米シアトル在住。
パズルゲームを中心にゲーム開発のアドバイザーなどを務めるなど、現在のゲーム業界にも造詣が深い。

多額の賞金も出る世界大会が開かれることなどから注目が高まっているゲームの競技大会「eスポーツ」にも着目している。
大会の種目として取り入れてもらい、テトリスを遊んだことのない若い世代に広まっていくことを目標としている。
「チェスと同じでテトリスは古くならない。
見た目をもっと派手にわかりやすくしたり、ゲームの中でドラマチックなイベントが起こるようにすることなどに挑戦したい」と意欲を示す。

スマートフォン用ゲームの開発にも携わっていることから、日本の「パズル&ドラゴンズ」や「モンスターストライク」など大ヒットしたスマホ用パズルゲームについても「非常に刺激を受けた」と評価している。

テトリスのブロックの抽象的なデザイン性に注目し、デザインプロジェクトを立ち上げた。
日本の木の工芸家が、テトリスのブロックの形をしたネクタイピンなどを制作したほか、ブロック型の製氷機なども制作。
今月初めに明治神宮外苑で開催された「東京デザインウィーク2016」で販売した。
「日本とテトリスの関係は深いので日本でデザインプロジェクトを始めた。
いずれはテトリスのブロック型のビルを建てたい」。
eスポーツやスマホゲームからデザインへの応用まで、パジトノフさんの夢は今後も広がっていきそうだ。
(大坪玲央)

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