「ムーンライダーズ」40周年、走り続けるその先に 鈴木慶一
――ムーンライダーズを1975年に結成しました。
実は、当初バンド名は「火の玉ボーイズ」だった。
ところが、僕らがバックバンドを務めることになっていたアグネスチャンのスタッフから、「ボーイズって寄席じゃあるまいし」と止められて。
寄席の演芸で「ボーイズもの」っていうのがあったんだよね。
明日までに変えてこいと言われ、困った困ったどうしようと慌てていたときにひらめいた。
「そうだ、ムーンライダーズの名前が余ってる!」と。
――「余ってる」?
ムーンライダーズって初代と2代目があって、われわれは2代目なんだよ。
初代は、オリジナル・ムーンライダーズと呼んでいるんだけど、はっぴいえんどを解散した松本隆さんが、うちの弟(鈴木博文さん)とかと一緒に組んだバンド。
松本さんが忙しくなってあまり活動できず、名前が余ってた。
そもそも名付け親は私だったので、オリジナル・ムーンライダーズのメンバー全員に電話して「いただいていいですか?」とお伺いを立てた。
「いいですよ、活動してないし」というので、じゃあいただき、って(笑)。
――「居抜き」みたいですね(笑)。
そうそう、居抜き。
サウンドは全然違うけどね。
ちなみに、「火の玉ボーイズ」は、ムーンライダーズのデビューアルバムにその名を付けて、無事日の目を見ました(笑)。
――はちみつぱいもムーンライダーズも、日本語の歌詞にこだわっています。
理由は?
特に深い理由はないんだけど、英語で作るのって大変じゃない? それに、そもそも私は、日本語ロックの草分けであるジャックスや、遠藤賢司や高田渡さんといったフォークシンガーの歌詞をラジオで聴いて、「日本語なら自分にも作れるかもしれない」と妄想を抱いて曲を作り始めたから。
漫画からの影響もあった。
つげ義春さんの作品の中の言葉遣いがおもしろく、それで日本語のほうがいいと思った部分もあったのかもね。
そもそも、日本人には英語の歌詞だと情景が見えにくい。
でも、たとえばはっぴいえんどの歌なら「これは麻布十番あたりだな」とか想像できる。
はっぴいえんどと同じような歌詞は作りたくなかったので、初期のころは生まれ育った羽田周辺を題材にしたりしてたね。
日本語の歌詞はわかりやすいし、手っ取り早い。
でも実は、洋楽的な音楽に日本語を乗せるのってすごく難しい。
洋楽なら二つの音に「I’m gonna」とか入るけど、日本語だと「私は」の「わた」ぐらいで終わっちゃう。
入れられる情報量が格段に少ないんだよね。
難しいからこそ挑む意味があったし、やりがいがあったとも言えますね。