『にょきにょき』コンパイル〇仁井谷正充の人生―成功と失敗から再起

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ゲームに限らず、音楽、映画、小説など、エンタテインメントのジャンルで大きなヒットコンテンツに関わったとき、その人々の人生が変わることがある。
その振れ幅が大きいほど、その人やその周りの環境、そして、人生そのものに善きに悪しきに影響をもたらす。

そんな大きなヒットコンテンツの結果、仁井谷正充氏の人生は大きく揺れ動き、そして今再び新しい一歩を踏み出そうとしている。

今回の対談は、1980〜1990年代にアグレッシブなソフト開発と異色の会社経営で一時代を築いた元株式会社コンパイルの創業者、仁井谷正充氏だ。
仁井谷氏は柔軟かつユニークな経営を貫き、時代を先取りしたシンプルかつキャラクター色の強いパズルゲーム『ぷよぷよ』で大きな成功を納め、ジャンルの異なるRPGにも挑戦し『魔導物語』をヒットに導いた。
しかし、資金繰りに行き詰まり、最終的には2004年2月17日に破産。

同氏は今、再起を賭けて新たなチャレンジに取り組んでいる。
2016年4月に新会社コンパイル○(まる)を創業し、2016年11月16日にニンテンドー3DS用の新作落ちものパズル『にょきにょき たびだち編』を発売し好評を博している。

今回のトークセッションは、松戸市役所が後援している松戸コンテンツ事業者連絡協議会が、松戸市の地方創生事業のとして地域の就業支援・産業振興のために、同じく松戸市にあるDH(ディッジ)ムービーで開催された。
聞き手はメディアコンテンツ研究家であり、プロデューサーの黒川文雄氏。

■起業は「でも、しか」で、目標があったわけではない

黒川:今日は宜しくお願いいたします。
では、まず、仁井谷さんの起業の経緯を教えてください。

仁井谷:生まれは広島県、広島の大学へ入って、それからしばらくしてから、広島県内でいろんな仕事を転々としました。
起業する前に、パソコン系の販売会社に居て、その販売株式会社の社長さんと折り合い悪くって、その時、感じたのが「あれ?私は人に仕える事が性に合わないな」だから、「会社でもやろうかな」と思ったんです。
つまり起業したきっかけは「(会社)でも(やる)しか(ない)」ですね。
特に、何の算段も無く、「会社作っちゃえ」と。
何か具体的に目標があったわけじゃなし。

黒川:そうなんですか。

仁井谷:当時は自分が育った環境で、なんか「親と同じような生き方するのかな?」と思っていました。
あと学生時代に、どちらかと言うと左巻きだったので、いろんな活動をやっていて、大学は7年くらい在籍したんだけど、卒業できないから、とりあえず仕事を転々として、大学時代から、まともに就職するという風には思っていませんでした。

黒川:それでパソコンの販売のお仕事に、まず就かれたという事ですが、あまり性には合わなかったんですか。

仁井谷:とにかく人に仕えると、自分の気持ちがダウナーと言うか、下がって行くんですね。
「俺は人に仕えたらアカンのや」とね……。
パソコン販売会社の中で、自分がちょっと分かったのが、そのお店の売り上げの在り方は、当時は単純だったんだけど。
「こうすればちょっと売り上げがあるんじゃないの?」と言うのが、ちょっとずつ見えてきたんですね。
単純な話で、理屈言っちゃうと、当時、その手のパソコン情報誌があるじゃないですか。
その情報誌が普通のお店よりも、1日か2日先に入荷したんです。
その情報を基にパソコンを売るという事を始めると、最初10冊しか売れなかったのが、100冊とか、200冊売れるようになって、そうすると当然お客さんが増えるじゃないですか。
それでパソコンの売り上げが上がるという流れがあったので、単純な事ですよね。

黒川:なるほど。

■付加価値を付ける面白さ
仁井谷:スタッフが4人しか居ないのだけど、パソコンのことが分かるのが私しか居なくて、あとは全くの素人さんなんで、基本的に私の主導権で何でも動ける……。
すると社長の方針と、私がやろうとすることが、当然ベクトルが違ったりするんです。
特に、その中で私が感じたのは、「モノを右から左へ売るだけのお店は嫌だな」と「自分で外的な付加価値を作ったり、売ったりすることが面白いな」とか、あと情報誌とか作っていたので、そういう事が面白いなと思ってて、ちょっとずつそちらへシフトしていったと言う感じですよね。

黒川:その当時はまだ終身雇用に近い考えだった時代ですよね。

仁井谷:そうそう。
だけど、どちらかと言うと我々、団塊世代のメンバーは、学生運動みたいな事やってるから、まともに生活出来ない人がいて、私と同世代の人は学習塾とかいろんな独立やる人は結構いらっしゃるんです。
そういう流れがあるから、「まあ、そんなに気にしないで」って言う感じでしたね。
「自分でやろう」という人もたくさん居たし、そういう仲間もたくさん目の前にいるし。
私自身もある段階では、学習塾もやった事あるんで、そういう流れは分かるんですね。

黒川:そういう中で、ずっとモノ作りをしたいと思われていたのですか?
仁井谷:そんなには思ってないですよね。
パソコン販売の会社では、アップル用の『ギャラクシアン』を作ったことがあるので、そこら辺から「ゲーム作るの面白いな」とは思ってました。

黒川:なぜ「ゲームやってみよう」という気持ちになられたんですか?
■流れのなかで生きているという感覚
仁井谷:私はどちらかと言うと、流れで生きているので……。
その流れの中で見つけて行く、人にも説明するとそういう事言うんですけど、「基本的にやろうと思ったら、滅多に出来ないよ」と。
流れの中でやってるうちに、そこを一生懸命やってたら、自分に力があれば、いずれ自分のやりたいことが出来るように「絶対いけますよ」って思ってるんで、そういうアドバイスしちゃいますね。

私が会社を作った時にはファミコンが生まれて、翌年にセガ系のゲーム機が発売されたんです。
セガ系のゲーム機が出る時に、お話があって、「なんかゲーム作って欲しいよ」という流れがあったから、「じゃあ、作ろうかね」と。
それも全部流れなの。

黒川:特に計画をして起業したわけじゃないのですね。

仁井谷:要するにセガの仕事貰ったりとか、いろんな人から仕事貰ってる形で、ゲーム作ることが、ゲーム業界で評判になって、「コンパイルさん仕事して欲しいよ」と言うのは、もう待ってれば来るという中で、徐々に会社が大きくなり、そのうちMSXとか自社ブランドで出せるから、出して行くうちに、まず一つのきっかけは、話すと長くなるけれど、要するにディスクステーションという、CD-ROMみたいなモノでの雑誌という形態で出した事が、まずコンスタントに稼げる一つ枠組みが出来て、そこからコトが始まると言う感じです。

黒川:ディスクステーションから『魔導物語』とかヒットが生まれる。

仁井谷:その中から、『魔導物語』とか、『ぷよぷよ』に繋がるような、落ちゲーみたいなのものが生まれてきた。
そういった流れですよね。

黒川:ディスクステーションも当時としては、他に例を見ないようなチャレンジ的な商品ですよね。

仁井谷:私は恐らく世界で初めてだと思ってるので、そういう意味では特許とれば良いと思ったけど、一応取らないで良いかな、と思って取らなかった流れですよね。

黒川:それもすべて来るモノの中で、生まれて来たと言う感じのモノなのですか?
■普通の人は戦術しか分からない

仁井谷:要するに仕事の中では二つあって、仕事の戦略と戦術があるんですね。
普通の人は戦術しか分からないんですよね。
例えば、ある会社のRPGだと、毎年のように大きくすればいいやと、スタッフが100人から200人、200人から500人になったら、それは寓話のカエルのお父さんが腹を膨らます話と同じでパンクするしかなくなるんですね。
じゃなくて、戦略と言う事で、何かと何かがやれば人に勝つって戦略で持って行けば、仕事のコンセプトとか戦略が見えて来て、自分なりに戦略がちょっとずつ立てれる。

例えば、コナミさんがMSX頑張ってる時に、「それに対抗する戦略これじゃないの?」と言う中で、出しながらちょっとずつ見えて来て、その戦略が大事だとは思っています。
その前はコンセプトが分からなかったので、コンセプトを理解して、それが使える。
その次が、戦略が分かって、使える。
戦略は誰もかれも分かるわけじゃないんです。

黒川:『ぷよぷよ』が大ヒットするまでの経緯というのは、どのようなものでしょうか。

■テトリスがもたらした衝撃
仁井谷:『ぷよぷよ』が売れる何年前なのか忘れましたが、ゲームボーイで『テトリス』が4,000万本売れた。
そこで、どう感じたかと言うと、当時、あらゆるゲームやゲームシステムが、肥大化して、難しくなり、だんだん開発者もたくさん増えて、って言うのが普通の流れだったので、その時、『テトリス』と言うゲームが売れた…と。

あのゲーム見ていると、どう考えても、作業量として「ごく普通のプログラマーが、1〜2週間、長くても1か月であの程度のことが出来るな」と。
それが4000万本売れたというのが、私だけじゃなく、恐らくゲーム業界みんなショックだったと思うんですね。
その事から、「あ!じゃあちょっと落ちゲーみたいなモノ、コンパイルもチャレンジしてみたいな」と言うとこから、『ぷよぷよ』が生まれて来たという風に思いますね。

黒川:成功された後に、ある種『ぷよぷよ』の会社になっちゃった所もありましたよね?
仁井谷:その時に、いろんな産業が大きくなると、特に日本の電機メーカーとか車メーカーとかそうなんだけども。
日本程度だと、大手3社とか5社に絞られるじゃないですか。
そういう風になるだろうとしたら、「我々もその一角に食い込みたいな」と思う為に、何をしたら良いだろうと考えながらやっていましたね。

黒川:それが結果的に、『ぷよぷよ』っていう大きな看板になったし、コンパイルという会社もどんどん大きくなって行ったわけですよね。

仁井谷:そうですね。

■すべてを自前でやろうとした結果…・
黒川:その中で会社はどんどん大きくなられて、会社も数百人規模になって来ましたよね。
象徴的だったのは、イベント会場とかで背中に「丁稚」って書いてあるような人がいっぱい居ましたが、あれぐらいの規模になると、かなりコントロールとか難しくならなかったですか?
仁井谷:それは仰る通りだと思いますね。
社員が100人いる。
そこで50人とか30人とか居ると、指導できない状況は、たぶんあったと思うので、そういったのは今反省すると100人ぐらいだったら、年に新入社員を10人。
200人だったら20人ぐらい採るぐらいが、客観的には良いのかな。
と言う気はしますよね。

黒川:『ぷよぷよ』のヒットによって、急激に会社も大きくなって、期待されるモノもユーザーから大きくなりますよね?そういう中で、どんどん業容が広がって行った感じですかね?
仁井谷:恐らく、そこはちょっと違うんですよ。
当時、魔導ランド、分かりやすく言うとぷよぷよランド作るために、何をやるにしても、例えば、テレビコマーシャルをするにしても、イベントやるにしても、雑誌にいろんなことするにしても、全部我々がすべてを準備して、すべてをやらない限り、理解してもらえないんですよね。
例えば、ぷよぷよランドを作ろうと思ったら、仮にスタッフが1000人いるとすれば、どうも恐らく自前で1000人用意しないと上手く行かないんじゃないかなと思うようになりました。
当時21世紀になったらオープンしたいと思っていたので、数年しかないから、「じゃあ、どうやってスタッフ増やす?」って思ったところが、そういう考えがよろしくなかったという事でしょうね。

黒川:すべて自前で全部やろうと?
仁井谷:やらざるを得ない。

黒川:ぷよぷよランドに関しては、以前にテレビ番組で拝見したのですけども、かなり構想が大きく広がって企画書を作ったりして、そこでもかなりお金がかかってしまった。
というお話を聞いたのですけども。

■「M計画」と呼ばれた魔導ランド
仁井谷:社員数が200人とか400人とか居る中で、当時「M計画」って言ってました。
たかだか4〜5年しか無いから、そんなにお金がかかるわけじゃないんで、それは全然違います。

黒川:でも、実際にオープンするために仁井谷さんも凄く動かれていたのですよね?
仁井谷:そうでもないんです。

黒川:そうなんですか?一大テーマパークを考えられてたと言うのが、当時のぷよぷよランドなんだと記憶してますけども。

仁井谷:いや、発表してないから、みなさん知らないと思う。
ほとんどの人は知らない、テレビで聞いて「そんな計画あったんだ」ていう話だと思う。
我々が世間に発表するまでは、クローズでやってたんで、それは恐らくみなさんご存じないでしょう。

黒川:当時、僕はセガに居たので、セガはジョイポリスとか、そういうアーケードとかをどんどん広げて行ったので、多分そういう時に「ぷよぷよランド作ってるんだな」てお話を聞いたような気がしたんですね。

仁井谷:それは、誰かにお話した話が、伝わって来たんじゃないですかね。
一般の方は、ほとんどご存じないと思います。

黒川:なるほど、わかりました。
そのように時代を作って来たわけですけども。
その当時の仁井谷さんにはスポットライトが大きく当たったと思いますけど。

仁井谷:よく分かんないんだけど、自分がある程度分かって来た頃には、「これをやったら売れる」とか、なんかが、時代より少し先の先、ワンテンポ、ツーテンポほど人より前に出たんだろうなと思います。
それが、たまたま上手く行って、たまたま売れてたんだろうなって気がします。
特に「ぷよまん」(饅頭)とか言ったものも、今だったらキャラクター饅頭とか、ごく普通に誰でも売ってると思うんですけども。
ぷよまんと言うのは当時ほぼ無かったから、「ガツンと売れたんだろうな」と思いますけどね。
世の中よりちょっと2〜3歩、前に行っちゃうところが、当時はあったんだろうし、今はたぶんそうでもないけど、とりえあえず、そういうセンスがあるみたいですね。

黒川:確かに他の人がやらないような事を率先してやられてたような感じがします。

■人がやらない事にしか興味が無いんです
仁井谷:そうだし、そこに興味がある。
人がやらない事にしか興味が無いんですね。
人と同じことをやりたいと思ってないんですね。
それが正に企業の基本だろうと思うんでね。

黒川:これだけ成功した時代だと、いろんな人が寄って来ませんでしたか?色々なお話を持って来るとか。
良い話もたくさんあったでしょうし。

仁井谷:僕に言い寄って来たと言うお話で言うと、最終系は政治屋さんが近寄って来た。

黒川:成功と失敗を体験されてると思うんですけども。
その落差は激しいと思いますが、ご自身の中では、どのように受け止められたのでしょうか?
仁井谷:そんなには気にしてないですよ。
自分の生活態度が、成功の前の時と、成功の時と、失敗の時と、自分のライフワークとか、生き方とか、そんな変えているつもりは無いので。
ただ、スケールが違うだけで、自分の手元のお金が、10万円か20万円が、桁が4つ上がったかもしれないけど。
それは、また元に戻った感じなんで。
この落差について気にしてるか?と言うと、そんなには気にしてない。
気にしていれば、気持ちがダウナーになって、「世の中生きて行けない」とか思うかもしれないけど。
そんな変わったとは思ってないんで。
「あ、また元に戻った。
振出しに戻った」感じですよね。

■空白の九年間

黒川:空白の九年間の話ですけども。
コンパイルを清算された後に、アイキを作られて、そこも解散されて、その後、コンパイル〇を創業、コンテンツを売るために、お作りになられたと思うんですけども。
この九年間と言うのは、どのよう事をおやりになっていたのでしょうか?
仁井谷:まあ、普通に自分の生活、飯が食える形で、どうやれば良いんだろうと思っていました。
専門学校の講師をやったり、あるいは普通のいろんなアルバイトしたり、とにかく食いつないで、60歳を過ぎて、今、66歳だから、65歳になると年金も満額貰えるんで、「これでやり過ごす」と言いながら、ちょっと足らないから、バイトしなきゃな…と言う形で生きて来たと思うんですね。

黒川:アルバイトと仰っていましたけど、どのようなお仕事をして来たのですか?
■基本的には清掃系か、警備系
仁井谷:50代、60代って、そんなに仕事無いんで、基本的には清掃系か、警備系かな。
よく言われるのは「ゲームの仕事をやれば?」と言う人がいるんだけど、そこには手を挙げなかったというか。
そこは、昔のコンパイルと言う看板を背負ってると、本人が行き辛い。
その前に、どっかの雑誌系で言ったんですけど…僕の気持ちの中で、江戸時代の言葉で蟄居(ちっきょ)、自分で蟄居してる感じだったんで、控えてる感じなんで、だからアルバイトしてた感じですね。

どっかのゲーム会社で、コンパイル関係では無くって、すぐ手を挙げて、ディレクターとか、プロデューサーという事は考えなかった。
そんなことで動いちゃうと、自分のモノ作りで考えると、何をやろうがすべて、自分がやる事は、かつてのコンパイル的な形になっちゃうと思ってたんで、ちょっとそれは難しいなと思ってましたね。

黒川:確かに仁井谷さんのように、コンテンツと時代を作られた方で、いろんなオファーがあったと思いますけど、先ほど仰った蟄居という事で、世に出ることはしたくなかった?
仁井谷:自分で、憚(はばか)ってたつもりですね。
それが昨年テレビからオファーがありまして、出たことによって、それが「そろそろ解いて良い頃かな」と、言う風に思いましたね。

■テレビ出演頓挫の理由とは?!
黒川:それはなぜそう思われたのでしょうか? テレビに出たことで、パブリックに出て、仁井谷さんの今の活動がみんなにわかるわけですよね。
それがきっかけですか?
仁井谷:その前に、別件で2〜3年前にテレビのオファーがあったんです。
ずっと出演企画を詰めて……。
ところが一週間前に、リジェクション(頓挫)しちゃったんですね。
それは、この会社とは言いづらいので、ある会社さんが、たぶん「出演NO」と言ったのだろうと思う。

黒川:その時、出演の寸前まで行っていたけれど…ということですね。

仁井谷:だって、お互い2〜3回打ち合わせをして、「じゃあこの日に収録しましょう」の1週間前に、「理由は具体的に言ってもしょうがないと思うので、とにかく無くなりました。
他の人が起用されました」と、言うような感じです。

黒川:倒産されて自己破産されましたが、先ほどから聞いていると、仁井谷さんの中では、あんまり変わってないのかな?と思うのですけども。

仁井谷:じゃないと生きて行けないでしょ。

黒川:とは言え、変わった事、変わらなかった事はありましたか?
仁井谷:だから、お金のスケールの問題です。

■私の生き方が、友達を求めると言う事が合わない
黒川:例えば、人が離れるとか、人が来るとか、そういうことは無かったのですか?
仁井谷:そういう風に生きて来たか?ですよね。
コンパイル始める前までも、いわゆる友達と言うのは、ほぼ居なかったと思う。
なぜかと言うと、私の生き方が、友達を求めると言う事が合わない。
最初から、話が合わない。
それはさっき言った、戦略みたいな話で。
戦略みたいな話は誰もしないので、普通はお友達2〜3人寄ったら、すぐ「隣の女の子がね」みたいな、「隣のおじちゃんが、こーした、あーした」という話しは僕は好きじゃないんです。
そういうお付き合い、ほぼしていないので。
多分そこだと思う。
だから、そういう友達は少ない。
そもそもが学生時代から、そう思ってたから、「友達いねーな」て、思ってたんで。
居ない理由は、最近分かったのは、多分私と同じような感じで、お話してくれる人がほとんど居ないから、「要らない」みたいな。

黒川:それは生きて行く上で、あまり必要としない感じですか?
仁井谷:生きて行く上で、相談した時に答えが返って来ないわけですよ。
それでも、例えば聞きますよ?「コンパイル社員が今100人です」と、「200人にしたいけど、どう?」まず、その話を聞いてくれる人が居ないんですよ。

黒川:それは居ないですね。
経営者としてそれは自分で判断しなきゃいけないですね。

■聞いても答え出してくれない人に聞いても、意味がない
仁井谷:自分が生きて行く過程の中で、聞いても答え出してくれない人に聞いても、意味がないわけでしょ。
それだったら聞かないという事ですよ
黒川:当時、社員の方たくさんいましたけど、今でもお付き合いある方はいらっしゃるんですか?
仁井谷:そういう風には生きてない。
基本的には、お互いの役割として生きて来たので、役割が終わったら終わっているわけで。
「こんにちは」と言われれば「こんにちは」と言うかもしれないけれど。

黒川:なぜ聞いたのか?と言うと、今回のゲームを作る時に、元社員達が仁井谷さんをサポートしたのかな?と言う所も含めてなのですけども。

仁井谷:前の社員の皆さんが具体的に今回の仕事で、「何かやった?」と言えば、それはほぼ無いです。

黒川:当時の、『ぷよぷよ』とかのファンだった人たちが大人になって、仁井谷さんを支えるとか、支援してとかですか?
仁井谷:今回、今年の1月まで会社を興す事はさらさら無かったのです。
今年の1月までの中で、コンパイル・ファンのみなさんと親しくするミーティングがあって、お互いに交流会とかしたので、その中で、今作っている『にょきにょき』というゲームのプロトタイプのテストプレイをしたいと思っていたので、今年の新年会70〜80人集まった会で、「テストプレイして欲しいのですけど、どうですか?」って言ったら、7〜8人手を挙げられたので、「じゃあ、それでやってみようかな」と、言うのがきっかけで、今年の2月からテストプレイ始めたんですね。

その2月、3月とやってる中で、「あれ?これひょっとして売れるんじゃないかな?」と言う実感がしたので、「じゃあ、ゲーム作るのだったら」、今回考えたのは、「コンシューマーで売りたい」と、言う風に考えたので。
コンシューマーなら、「チャンピオンの京都の会社にプレゼンして、あわよくば売ってもらうとラッキーかな」と思って、プレゼンに行ったんですね。

■京都の会社の代表電話に連絡をするところからやってみた

黒川:ご自身で行かれたのですか?
仁井谷:そうです。

黒川:反応はどうだったのでしょうか?
仁井谷:どこから話せばいいのか、わからないけれど。
当時の部署とか全然記憶に残っていなかったから、お付き合いしていた方々もいらっしゃるとは思っていなかったので。

黒川:つまり昔の部署ということですね。

仁井谷:業務部という言葉を忘れていたので、よく分からないから、代表電話に連絡して、「ゲーム作ったので見て欲しいのですが」って言ったら。
「何のこと?」みたいな話から始まって、最初は他の部署に電話が行って、「それは業務部に聞いた方が良い」って言われたので、もう一度受付へ電話して、業務部へ電話したという。

黒川:そこからやったんですか?
仁井谷:そうそう。
みんなびっくりしてた。

黒川:仁井谷さんであれば、昔のおつきあいがあったかたとを辿るとか……。

仁井谷:全員辞めているから。

黒川:もう辞めちゃってますかね?
仁井谷:私の担当は、当時業務部の最高トップ責任者である方なので、多分もう隠居されてると思います。

黒川:ゼロベースからやってるわけですね。

仁井谷:そうそう。

黒川:凄い情熱ですね。

■「ぷよぷよを作った仁井谷ですが…」
仁井谷:それで電話したら、担当の人も「あなたは誰?」みたいな。
「『ぷよぷよ』を作った仁井谷ですが…」それもキョトンとされて「あなたは誰?」みたいな。

黒川:やっぱり時代が変わったんですかね。

仁井谷:『ぷよぷよ』作ったとか、仁井谷も記憶にない。
「じゃあ、せっかく仰るなら、京都に来られた時に、プレゼンしてください」と言われて。
「いずれ1〜2か月で京都へ行こうかな」と思ってたら、それから1時間後に電話があったんです。
「我々が東京へ行くついでがあるから、その時見ます」みたいに言われたんですね。

黒川:そうなんですか。

仁井谷:その当日になりましてね。
業務の窓口の人と技術の人も連れて来てるって事は、もうやる前提ですよね。
いきなり「じゃあ、開発マシンなんとかするから、じゃあ、作ろう」みたいな話になりました。
だから、最初よくわからなかった。
それで、そのうち「インディーズで、7月4日にビットサミットがあるので、そちらに展示しましょう」みたいな話で、「え〜?」とかよく分からなくて、「じゃあ、そうします?」みたいな話なんです。

黒川:私もビットサミットでトーク・セッションさせていただいたので、仁井谷さんが出展されていたことを覚えています。

■俺、お金持ってないのに、どうやって作るんや!?
仁井谷:私としては、当時アルバイトしてて、お金持ってませんから。
チラッと思ってたのは、京都の会社さんと付き合うのに、会社作らなきゃいけないとか。
今度は開発しなきゃいけないじゃないですか。
そしたら、お金がいるでしょ?いろんな形で、お金を何とか集めて。
クラウドファンティングとかひっくるめて、6月くらいに集めて、7月くらいから作って、年末間に合うか?
「俺、お金持ってないのに、どうやって作るんや!?」って、わけわからない。

黒川:それでお金どうしたのですか?
仁井谷:無いんですけど。
今、『にょきにょき』を開発してもらっている会社に、お金がない段階で、「ねえ作って」お願いしたんです。
その会社とは縁があって、昔コンパイルのキックオフにもお付き合いしたんですね。
今回のキックオフも、ほとんどゲーム見てもらって「じゃあ、なんかやろうね」みたいな。
お互いに、お金の話は二の次、三の次。
旧友みたいな所あるから、「じゃあやろうね」
ゲーム見てもらったら、最初は全然反応悪かったんだけど。
対戦プレイしたら、一瞬にして「やろうね」って話になっちゃって。
そこは昔、付き合った人だから、このゲームの良さは、多分分かって貰えたんだろうし。
「やろうね」という気構えで、コトが進んでて、「じゃあ、お金どうしようかな?」と思って、ずっと悩んでて、よく分からないから、テストプレイしたのと、してもらったのと、もう一つはコンパイル〇を作って、チラッと考えたのは、「じゃあ、株の公募しようかな」みたいな。
普通は新しくできた会社、公募しても資金は集まらないんで、今回やらしてもらって、いくらか集まって、その資金と、もう一つは政府系ですよね。
政府系の政策金融公庫にお願いしたら、それも話が上手く行って、それが一つありますかね。

もう一つは、テレビからオファーが来るとか、あるいは株の公開だったら、財務省のOKがいるじゃないですか。
その方とか、今回の政策金融公庫の方々が、みんな今ジャッジ出来る方、仕事されてる方がみんな、30代、40代で『ぷよぷよ』世代なんですよ。
そうすると、私の話が伝わりやすいわけですよ。
あるいは、当時の『ぷよぷよ』のファンだったりするんですよ。
財務省の担当の方が、実は最初受付は若い人で、ちょっと反応悪かったんですね。
そしたら上司の方が、「担当は私がやるよ」って言いだして。

■当時の『ぷよぷよ』ファンがみんな偉くなっていた
黒川:良かったですね。

仁井谷:で、お会いすると、ちょっと顔を赤らめながら、「私は(『ぷよぷよ』の)挟み込み出来るんです」って仰るんで、「ああ、この人間違いなく『ぷよぷよ』のファンだな」と。
顔が赤らんで、紅潮してるよって…「これは良いな」みたいな。
そこは会社を興すにつれ、世間の理解がちょうど知ってもらいやすい。
色んな方々が、『ぷよぷよ』知っていらっしゃるし、コンパイル知っていらっしゃるので。
そこは「仕事しやすいな」と思いますね。

黒川:そのあたりからゲーム開発が活気付くわけですね。

仁井谷:まずはユーザーの方々に、Twitterを通して「テストプレイしませんか?」と言ったら、参加してもらって、毎週土曜日に新松戸に来てもらって、多い時には7〜8人、少なくとも2〜3人、10月の初めくらいまで、来ていただいてやってたので。
それがきっかけですね。

■ゲームが売れるロジックって言うのが、基本的にあるわけですよ
黒川:「流れるまま」と言うけれども、普通に行ったら、結構心折れる人もいっぱい居ますけど。

仁井谷:そこはね。
ゲームが売れるロジックって言うのが、基本的にあるわけですよ。
一番大事なのは、世間で言われるでしょ。
一言でいうと、「継続は力」しかないんですよ。
たぶん、いろんな発明で成功した人みんな同じ事言ってると思うんですけど。
実現するまで、失敗と思っちゃいけないんですよ。
だから、挫折とか無い。
ただ単に、「私はこうしたい」と思ってるだけであって。
だから、確かにコンパイルと言う会社は無くなったけれど、それは自分が「失敗した」と思ってない。
またチャンスがあれば「やろう」と思ってるだけで、今回チャンスが巡って来たから、それはそれで「やろうかな」と思ってるんですね。
そこは「不屈」とかじゃなくて、「継続は力」と思ってるかどうかですよね。

ゲームが売れる、いろんな黄金法則があるんだけども。
一番大事なのは、同じジャンルで、同じチームで、4作作る環境を与えて、4つ目まで作ったら、絶対売れるという自信はあるんです。

黒川:それは何故ですか?
仁井谷:それは1作目、2作目、みんなが「ちょっとずつ良くしよう」と言う心があるだけで、マーケットへ出すわけだから、マーケットの反応を見て、また3作目を作って、マーケットの反応を見て4作目を作る。
それは間違いなく、売れ線になりますよ。
シューティングゲームなら、シューティングゲームを4つ。
絶対連続して開発する。
RPGなら、RPGで必ず、ずーっと作らなきゃいけない。
ジャンル変わったら、もうダメですよ。
ジャンルは全く同じで、4作目ってそういう事なの。
しかも、同じチームですよ。
ディレクター、メインプログラム、デザイナー、全部同じスタッフで続けなきゃいけない。
これは、普通出来ないから、プロの会社では。

黒川:そうですね。
最近そういうチーム無いですよね。
必ず入れ替わったりしますよね。

仁井谷:それは、だから売れないという事ですよね。
だから、この環境を整えれば、絶対売れるという。

■『にょきにょき旅立ち編』11月16日発売

黒川:それを経て、『にょきにょき 旅立ち編』が…
仁井谷:11月16日発売です。

黒川:このゲームをご説明いただけますか?コマーシャル映像(以下CF)も作ったんですよね。

仁井谷:テストプレイをしている時に、今ネット系の声優さんっていらっしゃるんですね。
その方々が、まずはお試しで、「とりあえず、お手伝いしますよ」みたいな事で、じゃあ「ラッキー」という事で、CFのナレーションもお願いしてやってもらったんです。

黒川:先ほどのCFもそうですけど、いろんな方が仁井谷さんのサポートをしてくれているわけですね。

仁井谷:そうですね。
そこはありがたいですね。
ゲームの説明をしますが、まず、何故?『にょきにょき』を作ったか?というと、『ぷよぷよ』に関してはプレイするうえで壁があるんですよね。
壁が二つありまして、一つは連鎖なんですね。

『ぷよぷよ』は連鎖の概念が、最初分かりづらい。
特に小学1年生とか、小学3年生、出来ない。
最近聞いた話だと、中学生に『ぷよぷよ』やったんだけど、「連鎖がここまでやっと出来た」みたいな方が、たくさんいらっしゃる。
もう一つは、ちょっとそれが分かっても、初心者の遊ぶ人と、全国でトップ10に入る方と、対戦やると100対0で圧倒的に負けちゃう。
そこが何とかならないか?と言うのが、開発のポイントでした。
実は『ぷよぷよ』から『ぷよぷよ通』の時、『ぷよぷよ』は、スーパーファミコンで200万本売れたと、次に、『ぷよぷよ通』で100万本売れたと、この100万本の差は何か?が、ある意味で、私の人生の宿題、あるいはライフワークみたいなもので。
そこの回答は何かな?と言う。
難しい算数を解くような、それが私のテーマだった。

その時、一つの回答として、連鎖という事を「1色でやれれば良いんじゃないの?」と。
例えば、横に並べる。
横に並べるのは簡単じゃないですか?1個、2個と並べれば、それが連鎖に相当する。
後は縦に伸びて、縦に伸びたのと、横の連鎖みたいなのを掛け算すれば、ある数字。
これ算数の話になっちゃうんで。
私はどっちかと言うと、理系なんで、私の中で、基本的に数式がすべてなんですね。

横に連鎖をして、縦の長さを掛け算すると数字出るから、それで連鎖に近い破壊力出るから、「これゲームになるかな?」と思って、6年くらい前から作り続けて。
プロトタイプを作って、売ろうという中で、中々売る形まで作れなくて、テストプレイで遊んでもらうと、今までのゲーム作った時と全然違う。

何が違うか?と言うと、一言でいうと、遊んだその日から、みんな分かってもらえるし、大きな声で、みなさん声出すし。
初心者と上級者が、お互いに対等に戦える。
色んな戦いで、勝ったり、負けたり、逆転に次ぐ逆転みたいな、そんなのが初日にすべてできちゃう。
そんなのは見たことが無い。
観客が5人いれば5人だし、10人、100人いても、恐らくここに居らっしゃるみなさんも、今見てもらうと、このゲーム何か、だいたいわかってもらえるかな?と思ってるので。
そんなパズルゲーム見たことが無い。
『にょきにょき』は、ひょっとしたら売れるんじゃないかな?と思っているんです。

■お金がぐるぐる回ればリメイクや新作を準備したい
仁井谷:まだ未確定な部分もあるんですけど、ある携帯系のゲーム会社さんと、これから話をすると思うんで、それが上手く行けば、1〜2か月後か?半年後か?3か月後か?分からないけれど、発表する可能性も今出てるんです。

黒川:『にょきにょき』のスマホ版という事ですか?
仁井谷:そうです。

黒川:凄い展開になって来ましたね。

仁井谷:それが決まれば、もう行けちゃうだろうと思ってる。

黒川:それは凄いですね。
そうすると、また仁井谷さん、人生が大きく変わりそうですね。

仁井谷:まあ、一応手元にお金が入ればね。
『ぷよぷよ』の時感じたのは、これはゲーム業界の、ゲーム系の、囲碁・将棋。
特に囲碁に匹敵するゲームだと思ったんですね。
だけど、さっき言ったように、「ぷよには二つの壁がある」と、連鎖と、初心者と上級者が対等に戦えない。
このゲームは対等に戦えたのが、もうテスト済みなんですね。
それが出来たので、次はPCでeスポーツ化したいと思っています。
それが最後の出口かな?
それでお金がぐるぐる回れば、携帯系とかで、ちょっとずつお金が回っていれば、昔やっていたようなディスクステーション系のゲームも、ちょっとずつリメイクとか、あるいはいろんなアイディアを集めながら展開していきます。
和は遊べるゲームしか作りたくないんで。
携帯でも、みなさんが遊んでもらえる、対戦で遊べる、行った環境作って。
で、どんどん対戦してもらえるものを作りたいなと思ってる。

黒川:仁井谷さんの変わらなさと言うのは、素晴らしい事ですね。

仁井谷:だって、自分人生観とか、みんなさんいつも変わらなかったでしょ。

黒川:でも、一般的に見たら、会社が倒産されたり、整理されたりという中で、さらに自身がやりたくないかもしれないけれど、警備系のアルバイトのお仕事されたり、いろんなことされて、またこうやって今作られて、またさらに前向きなお気持ちを維持しているというはなかなか出来ないと思いますが。

■ゲーム作りに対しては、自信があった
仁井谷:要するにコンパイルでの失敗と言うのは、組織を作るのは失敗しているけども。
失敗の要因は資金ショートだと思っているので、ゲーム作りに対しては、自信があったんで、未だにコンパイル・ファンが仰るのは、昔のコンパイルが作った作品、ディスクステーションにあるゲームとかは、「未だに遊べる」と仰っていただいているので、そこは自信があるんですよね。
モノを作る自信があるんで、じゃあ、へこたれる必要はないんで、そこですよね。
自分としては人生観を変えるつもりもないし、ある意味人生観として達観してるから、「ある程度世の中が見えてきたかな。

これが二十歳で分かってたら、全然違うんだけどみたいなのはありますけどね。

黒川:でも、その年齢の時点でコンパイルと言う会社で、一度成功されていますからね。

■世界平和を目指す仁井谷正充氏
仁井谷:と言うよりも、全然違う話で言うと、「世界平和ってこんなんじゃねーの?」と言う、答えは当時は出ないから、今は思ってるんで、そこは全然違うんだろうと思うんですね。

黒川:今度は世界平和ですね。

仁井谷:そうです。

黒川:なるほど。
今日は貴重なお話をありがとうございます。

仁井谷:ありがとうございます。

会場協力 DH(ディッジ)ムービー
http://www.dh-movies.jp/
■対談後記黒川文雄

仁井谷さんとは今回が初対面でした。
メディアを通じてコンパイル時代からの活躍は存じ上げておりました。
コンテンツで、ひとつの時代を築かれた経営者として、クリエイターとしてその存在は特別な方でした。
いつかお会いしたいと思っておりました。

今回のトーク・セッションでは自分のなかで当時を振り返って聞いてみたかったこと、これからのことを中心にお話を伺いました。
起業を試みようという若者や苦難や挫折を感じたときには勇気をもらえるようなお話も聞くことができました。
ご本人は挫折とは感じないその精神力のタフネスさが、今回の『にょきにょき』に至る展開をもたらしたのではないでしょうか。

諦めない限り終わりではないということを改めて感じさせてくれたセッションでした。

黒川文雄
1960年12月4日生まれ。
メディアコンテンツ研究家。
黒川塾主宰。
アポロン音楽工業、株式会社ギャガコミュニケーションズ、株式会社セガエンタープライゼス、デジキューブを経た後、株式会社デックスエンタテインメントを設立。
ブシロード・副社長、NHNJapan(現在のNHNPlayart/LINE)、を経て、株式会社ジェミニエンタテインメント代表取締役。
現在に至る。
ゲーム業界だけに限らずエンタメ界で「熱い人」とトークをするイベント「黒川塾」を精力的に開催中。
メディアコンテンツ研究家、ジャーナリスト、コンテンツプロデューサー。
コンサルタント、アドバイザーとして活躍中。

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