<森下洋一氏死去>松下世襲人事と決別 不採算事業を整理
松下電器産業(現パナソニック)で社長を務めた森下洋一氏が18日に亡くなった。
森下氏は、バブル崩壊後の家電不況に直面した厳しい時代に社長に就任。
課題だった不採算事業を整理して収益改善を進めたほか、国際競争を勝ち抜くために創業家の世襲人事からの決別を果たした。
1992年12月に副社長に就任した森下氏は、翌年2月に社長に緊急登板。
91年に発覚したノンバンク子会社の過剰融資や、92年の欠陥冷蔵庫問題などの不祥事で引責辞任した谷井昭雄・前社長からバトンを渡された。
当時、会社は危機的な状況だったが、「営業で培ったひたむきな人柄」(関係者)で、地道に課題を解決していった。
経営の重荷となっていた米映画会社、MCAは95年4月に「本来の事業領域でない」と売却。
ノンバンクの不良債権問題では、98年に債権保全会社の解散・清算を決めた。
就任から「創造と挑戦」をスローガンに掲げ、事業部制の強化を軸にした経営を進め、94年度から3年連続で増収増益を達成。
99年5月には任天堂とデジタルネットワーク家電の分野で包括提携した。
一方、重要課題だった世襲問題にも心を砕いた。
当時の松下正治会長ら創業家が社長就任を切望していた松下正幸副社長を「松下電器はグローバルな公器。
人事は適材適所だ」として副会長にしたことで、松下家への“大政奉還”の道が閉ざされた。
代わりに2000年に社長に指名したのが後に業績のV字回復を果たす中村邦夫氏。
真の世界的企業として飛躍するには、世襲人事との決別は避けては通れなかった。