「岡崎体育」ができるまで 口パク公言の真相、脱サラして音楽一本へ 行き着いた「型破りスタイル」

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昨年5月にメジャーデビューを果たしたあとも、実家の学習机でパソコンソフトを駆使して作曲するかたわら、地元のスーパーで品出しのアルバイトを続けています。
キレのあるダンスで盛り上げるライブは「ほぼ口パク」を公言。
タモリさんが司会する音楽番組「ミュージックステーション」では歌詞をど忘れする演出で、視聴者の笑いを誘いました。
これまでのミュージシャン像をくつがえす独自のスタイルが話題です。

――デビューまでの道のりは?
奈良市のライブハウス「NEVERLAND」を拠点に2012年から活動を始めました。
最初の2年はほぼ関西で、14年から東京とかほかの地域でも活動するようになりました。
そのころからSNSで「岡崎体育ってやつがいる」と言ってもらえることが増え、名前が広まっていくのを実感しました。

――京都府宇治市出身でいまも在住。
どうして京都じゃなく、奈良だったのですか?
ぼくが通った高校は奈良に近い京都の南部にありました。
友人もそっち(奈良方面)に多く住んでて、京都市内に行くより奈良の方がアクセスが良くて楽でした。
なので、高校生のころからバンドの練習で奈良市のスタジオを使ってました。
奈良には昔からぼくを見てくれている人がいる。
お世話になった特別な場所です。
パフォーマンス重視のスタイルは、奈良でできたものと思ってますし。

――ライブは「ほぼ全曲口パク」と公言していますね
ブッキングライブ(ライブハウスが選んだ数組の出演バンドが出演するライブの形式)の持ち時間って大抵30分なんですが、今はほとんど口パクです。
でも、初めのころは口パクは1曲で、ほかは弾き語りとかいろいろ混ぜて試し、お客さんにウケるものを探してました。
徐々に口パク率が上がっていきました。

最初に口パクをしたのは、「NEVERLAND」で初めてライブをしたときです。
5曲のうち1曲がどうしても覚えられなくて、家で録音したのを流してしまおう、と。
偶然の産物のようなところはありましたね。
もともと一人くらい口パクでライブしてるヤツがおってもええんちゃうかなって思いはありました。

バックバンドもDJもいないので、歌唱に重きをおくとステージの見栄えが良くない。
だから歌は口パクにして、体の動きや表情でお客さんを引きつけようと思いました。
パフォーマンスの幅が広がりました。

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