米最初の監督ピネラ氏語る…イチロー、メジャー3000安打達成
マリナーズ移籍当時の監督だったルー・ピネラ氏(72)が、イチローのメジャーデビュー当時を振り返った。
名将をも驚かせた日本の安打製造機。
そんな教え子にエールを送った。
―2001年を振り返って。
「彼にとっても、チームにとっても特別な一年だった。
116勝した年で、イチローの存在は大きかった。
特別な選手だ。
スピードがあり、ボールを捉える超人的な能力がある。
外野手としても優れ、素晴らしい送球を見せていた。
すぐアメリカの野球に慣れ、クラブハウスのリーダーの一人になり、チームメートからも本当によく受け入れられていた。
彼がチームに与えたインパクトは計り知れない。
素晴らしいキャリアを積み重ねており、将来殿堂入りする日を楽しみにしている」
―デビュー戦で2安打した後、監督から頬にキスされ、気持ち悪かったと言っていた。
覚えているか。
「日本からここに来てやるのは大変なことなんだ。
私はうれしさのあまりに、彼をハグしてチュッとやってしまった。
キャンプが始まったばかりの頃、彼は左翼へ流し打ちばっかりしていた。
そこで通訳を呼んで『右方向へも打ってもらえないか?スイングスピードがどれほどあるのか見てみたい』と話した。
その2イニング後だ。
イチローが打席に立つと、右中間へのホームランを放った。
ダイヤモンドを回って本塁を踏んだ後、彼は私にこう言った。
『ご希望に沿えましたか?』と。
あの時から彼には特別な才能があると悟った」
―前年(00年)にA・ロドリゲスとケン・グリフィーがチームから移籍したばかり。
イチローの入団はシアトルの町にとってどんな意味があった。
「シアトルにはアジア系の人が多い。
球団の(株の)約60%を持つ任天堂のオーナーだった山内氏は、イチローはまれに見る才能を持つ選手で契約すべきだと強く薦めていた。
それまでチームに在籍していた大物選手が去り、彼があっという間に球団の顔になった。
自己管理に優れ、コーチはほぼ不要だった。
ストレッチのルーチンはほぼ伝説となり、他の選手にとって非常によい手本となった。
彼のような打ち方は教わってできるようなものではない。
ストライクゾーンにうまく上体を残し、ボールをコンタクトできている。
経験も知識も豊富だ。
デビュー年にあの若き選手が42歳になっても現役で、3000安打に到達すると思った人が果たしていただろうか」
―イチローのおかげでメジャーでの日本人野手の見方が変わったと思う?
「いい質問だ。
答えはイエス。
日本人選手は規律正しく、基礎ができており、技術も確かだ。
イチローはその好例。
野球をよく知っており、日本の野球のレベルの高さがうかがえる。
イチローはヒットは打つが、長打は打てないと見る人もいるが、打撃練習ではサク越えもよく打っていた。
単に彼のプレースタイルではないだけ。
内野の左側に打球を運び、内野手が2〜3歩前進して捕球するようなプレーでは必ずセーフだった。
あっという間にオールスター級の選手としての地位を確固たるものにした」
―27〜28歳で日本からメジャー入りして、時速6マイルほど速いメジャーの速球に慣れるのは容易ではない?
「もちろん簡単ではない。
それが入団当時のキャンプで唯一、懸念した点だ。
先ほど春季キャンプで右翼方向へ打球を引っ張れるかどうか見たいという話をしたが、スイングスピードを確認するためだった。
十分あった。
文化の違いや人との接し方の違いに慣れるのも容易ではない。
通訳がいたのは助かったが、イチローはスペイン語も話していた。
チームには、ラテン系の選手も多かったからね。
私はスペイン語は話せるので、彼とは初めの頃、スペイン語で話していた。
英語でも、日本語でもなく。
そうやって話して笑っていた」
―木製の道具で足をマッサージしたり、打席に入る前のストレッチなどを初めて目にした時、どう思った?
「今まで見たことがなかった。
驚いたよ、特にストレッチには。
彼は別次元でやっていた。
まるで何かにとりつかれたように。
もともと引き締まった体の持ち主だが、故障を避け、ここまで長くプレーできたのも、あのストレッチのおかげだ」
―ヤンキースとマーリンズでは不調のシーズンがあり、もうキャリアも終わりかとささやかれた。
「35、36歳を過ぎても現役でプレーできる選手など、そうそういない。
そこが分岐点だ。
私は41歳までプレーしたが36、37歳に達した時点からは毎日スタメン出場できるような選手ではなかった。
剛腕投手が次々と出てくるが、自分の体は衰える一方。
だから、イチローが以前のペースを維持できなくなったとしても、驚くことではない。
球史に残る息の長かった名選手でさえそうだ。
頭は今まで以上にさえていても、スイングスピードは落ち、体の反応も鈍る。
当たり前のことだから」
◆ルー・ピネラ(LouPiniella)1943年8月23日、フロリダ州タンパ市生まれ。
72歳。
64年にオリオールズでメジャーデビュー。
移籍を繰り返し、69年にロイヤルズで新人王。
84年限りで現役を引退後はヤ軍コーチ、ヤ軍監督、レッズ監督を歴任。
93年からマリナーズの監督を務め、イチローとは01年から2年間ともに戦った。
その後、レイズ、カブスでも指揮。
183センチ、83キロ。
右投右打。