“黒川塾”40回記念イベントで坂口博信氏が自身のクリエイター人生を大いに語る

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文・取材・撮影:ライター イズミロボ・ササ
●3年越しの出演ラブコールがついに実現!
“黒川塾”は、メディアコンテンツ研究家である黒川文雄氏が定期的に開催している講習会。
その4周年&40回記念企画となるイベントが、2016年9月29日に、都内のオルトプラスを会場として開催された。
注目のゲストは、『ファイナルファンタジー』シリーズの生みの親であり、現在はミストウォーカーCEOである坂口博信氏。
“坂口博信 人生のクリエイティブ”というテーマで、坂口氏がこれまでのクリエイター人生を振り返って大いに語った、その講演会の模様をリポートしよう。

坂口氏は、黒川氏が3年ほど前から、ゲストとしての登壇を熱望していたお相手とのこと。
ステージに登場した坂口氏には、40回目を飾るゲストということで、まずはスタッフより花束が贈られた。
以降は黒川氏と坂口氏のトークセッションという形で、イベントが進行。
旧知の仲であるおふたりだけに、まるで飲み屋での雑談のような和やかな雰囲気のなかでトークが展開された。

●トークテーマはスクウェア“前”・“中”・“後”
トークのテーマは坂口氏の人生の時間軸によって分かれ、大きく3つ。
“スクウェア(現スクウェア・エニックス)以前”、“スクウェア在籍中”、“スクウェア後〜今後の展開”だ。
まずは黒川氏が、坂口氏にそもそもの生い立ちや、スクウェア入社に至るまでのいきさつを尋ねた。
黒川氏の最初の質問は、「クリエイターを目指したきっかけ、影響を受けたものは?」というもの。
それに対して坂口氏は、「ゲームを作っていて何がおもしろいんだろう? と、最新ようやく考えるようになりました。
自分の場合は“世界観”作りなんですね」と前置きしたうえで、「たとえば『スター・ウォーズ』なら、僕は『エピソード4』の世界観が好きで、『エピソード5』が好きな人とは話が合わないな、となるわけです。
だからたぶん映画にしても、学生のころの影響という意味では、そういう見方をしてたんでしょうね」と返答した。

ただ実際に子どものころに影響を受けた作品については、坂口氏は具体的なタイトルは挙げなかった。
理由は、「それを言ったら、マンガにしろアニメにしろ、周りはみんな見てたから」とのこと。
「『スター・ウォーズ』だって全員が見てましたしね。
その中の好きな部分が違うことで、受け取りかたがちょっと違う、それだけの話だと思います」と坂口氏。
ちなみに本では、ハヤカワ文庫をよく読んでいたそうだ。

続いて黒川氏が尋ねたのは、茨城の高校から、横浜国立大学に進んだいきさつ。
「なぜ横浜に?」という質問に、坂口氏は「東京にけっこう友だちがいたので、巻き込まれるのがいやだったんです。
大勢で飲むのも嫌いでしたしね」と回答。
ここでは“飲み”話に絡んで、かつて黒川氏と坂口氏がいっしょにお酒を飲んだときの話や、そこで黒川氏がスクウェアに誘われた話など、秘蔵エピソードもちょっとだけ飛び出した。
「東京に近いけど、みんなからはちょっと離れているところがよかったんです。
たぶんそんなクセがあるんでしょうね。
スクウェアをバイト先に選んだのも、聞いたこともない会社だからです。
まあ正直、ナムコやコナミは無理かなと思ったということもありますけど(笑)」(坂口氏)。

●多くの出会いや事件があったスクウェア時代
トークの話題は引き続き、スクウェア入社当初の話に。
坂口氏は、スクウェアの前身となる電友社には、同級生の田中弘道氏とともに、ふつうにアルバイトとして入ったという。
ちなみに、当時、社内スタッフの友だちという存在として知り合ったのが、のちに『ファイナルファンタジー』シリーズの音楽を手掛ける植松伸夫氏だ。
「PCからファミコンも手掛けることとなり、組織がキチンと会社っぽくなってきたんですね。
そこで、会社らしくなるからおいでよ、といって彼を誘いました」(坂口氏)。
ここではそうした“出会い”というキーワードで、黒川氏が坂口氏との出会いを回想して語るシーンも。
ちなみに1993年ころに、のちにセガの社長となる小口久雄氏に連れられていった六本木の飲み会で、坂口氏と初めて会ったそうだ。

スクウェア時代のトークは多岐に渡ったが、興味深かったのは3つで、まずひとつは少年ジャンプとの関係。
坂口氏は当時、『ファイナルファンタジー』シリーズ新作をジャンプの袋とじで扱ってもらいたくて、編集部に通いまくっていたそうだ。
お相手は、名物編集者の鳥嶋和彦氏。
坂口氏がジャンプにこだわったのは、もちろん『ドラゴンクエスト』への対抗心もある。
「あっちは鳥嶋さんで、堀井雄二さんで、鳥山明さんじゃないですか。
こちらは駆け出しの20代前半で、雲の上の存在ですよ。
そこに近づきたかったですね」と、当時を振り返った坂口氏。
『ファイナルファンタジー』は『IV』、『V』あたりから評価され、ようやく『VI』で、誌面で大々的に取り上げてもらえるようになったとのこと。
そうして鳥嶋氏からも信頼を得られたことが、のちのビッグプロジェクト『クロノ・トリガー』につながっていくこととなる。
また当時は『Vジャンプ』の立ち上げなどもあり、坂口氏が著名クリエイターとして誌面に登場する機会も多かったようだ。
「鳥嶋さんは、有名マンガ家のように、ゲームクリエイターにもスターが必要だと思ったんでしょうね」と、坂口氏は分析。
それには黒川氏も同意見で、「セガにいた僕の場合は、鈴木裕さんですね。
同じように鳥嶋さんからは、裕さんをスターにしよう、と言われていましたから」とコメント。
坂口氏によるとそのころ、鳥嶋氏&坂口氏&鈴木氏といった顔ぶれの飲み会なども、実際にあったとのことだ。

ふたつ目の注目トークは、『ファイナルファンタジーVII』でのプレイステーション参入について。
当時『ファイナルファンタジーVII』については、任天堂はもちろん、プレイステーション陣営、セガサターン陣営(ドリームキャスト)が熱いエールを送っていた。
黒川氏が坂口氏に尋ねた質問は、「最後にプレイステーションを選んだ決め手は?」というもの。
「ソニー・コンピューターエンターテイメント(当時)の久多良木さんがずっと作っていた、プレイステーションの前身的な、リアルタイムにビデオを編集できる試作マシンがあったんですよ。
その技術は一朝一夕にできるものじゃなくて、その魅力がズバ抜けていたということがあります。
こんなものが! という衝撃はやっぱりありましたね。
黒川さんのセガとか、他社さんには本当に申し訳ありませんでしたが……。
1枚でも多くポリゴンを表現できるマシンが欲しかったんです」(坂口氏)。
なおここでは余話として、このころにスクウェアの組織が巨大化したことでの弊害も坂口氏より語られた。
それはずばり、精神を病んでしまうスタッフが出てきたこと。
「200人〜300人規模の開発になると、自分の作業が最終的にどう関わるか、わからなくなってくるじゃないですか。
あとはどうしても流れ作業になるので、やりがいをなくして精神を病んでしまう。
これはショックでしたね。
それまでは小規模でみんな顔見知りで、全員でエンディングを見てみんなで乾杯! ゲーム開発は楽しい! という世界でしたから。
それが一定数を超えるとそうも言っていられないという、現実を叩きつけられました」(坂口氏)。

スクウェア時代でのラストの注目テーマは、ずばり映画製作に関するエピソード。
たとえば『バイオハザード』シリーズの映画製作は海外企業で、映画通で知られる『メタルギア』シリーズの小島秀夫氏にしても、実際に映画監督は手掛けていない。
ゲームクリエイターが映画のディレクターも務めた坂口氏のような例は、かなり珍しいケースだ。
まず黒川氏より投げかけられた質問は、「なぜ?」で、坂口氏の答えはストレートに「自分で作りたかったから」。
「日本と海外での、CGの力の差を感じていたという部分もあります。
追いつくためにも、ハリウッドといっしょに仕事がしたかったんですね」と坂口氏。
ここで黒川氏の、「後半のストーリー展開が急ですが……?」というツッコミに対しては、「滑り込みです(笑)。
よくある、永久に終わらないループのパターンに入りそうだったので。
ゲームも同様ですが、とにかく作り上げる必要があったんです」と返答。
最後の「海外スタッフとの仕事で印象的だったことは?」という質問には、「我が強いので、ツーカーで共通理解することが難しい。
でも反面、ワークフローや進行管理はしっかりしているので、勉強になりました」とコメントしてくれた。

●ネット配信の今後に感じる新たな可能性
最後のトークテーマは、坂口氏がスクウェアを退社してから現在までの経緯、そして今後について。
まず黒川氏が聞いたのは、スクウェア退社直後の坂口氏の状況だが、当の坂口氏によると、「しばらくハワイで3年くらいボーっとしていた」とか。
その後に活動を始めたのが、ご存じのミストウォーカー。
『ブルードラゴン』などのヒット作があるなか、ここで設立当初の思い出のプロジェクトとして坂口氏が語ったのが、『パーティーウェーブ』というサーフボードゲームのアプリだ。
「スクウェア時代のスタッフ人脈などもあり、試しに作ってみたサーフィンゲームでしたが……。
1日3ダウンロードなんてこともあり、散々な結果でした。
俺がアキバに行って店頭アピールしたほうがもっと売れるよねって(笑)」(坂口氏)。
逆にそこで、坂口氏は、スマホアプリを真剣に研究。
結果、生み出されたのが現在250万ダウンロードと大ヒット中の『テラバトル』だ。
当初から「200万ダウンロードを達成したらコンシューマー化」というコンセプトのもと、現在はコンシューマータイトルも鋭意制作中だという。
ほかのゲームとのコラボやニコ生とのリンクなどの展開にも積極的だ。

「ニコ生はね、やりだしたらおもしろくなっちゃって」という坂口氏。
配信の撮影ステージは、全部自分で配線などをセッティングしているそうだ。
ゲーム制作とともに今後進めたい展開の一環として、こうしたネット配信などにも、坂口氏は大きな魅力を感じているという。
「やっぱり、みんな発信したいじゃないですか。
内で満足するより、外に出したいですよね。
これは作り手だけじゃなく遊ぶ側も同じで、みんなの欲求が変わってきているような気がします。
だから実際にニコ生などでそれを感じ取ると、つぎのシーンが見えてくると思うんですよ」(坂口氏)。
ゲーム実況の配信なども含め、坂口氏が見据えているのは、その先の可能性だ。
「はるかな雲の先に、それがあと一歩で見えているときが楽しいんですよ。
逆に、先に誰かに見つけられたときの悔しさったらないですよね。
ファミコンの当初、セーブできないんだったらRPGが作れるわけないだろって、僕は周りに言ってましたから。
でも同じ土俵で『ドラゴンクエスト』は“復活の呪文”で実現した。
僕たちもできたはずなのにね。
僕が頭から否定していたんです」(坂口氏)。

ラストに黒川氏が坂口氏に投げた質問は、「AR、VRの今後の可能性について」と、まとめとして「今後のビジョンは?」というふたつ。
坂口氏いわく、ARタイトル『ポケモンGO』は「ポケモンは108匹ゲットしてLV24」という状況ながら、最近はあまり積極的に遊んではおらず、VRについても、まだそれほど興味を持っていないそうだ。
そして気になる今後の展開については、「『テラバトル』のコンシューマー化も進んでいますし、来年は新作をいろいろと発表できると思います。
アプリにしても、これはスマホとは思えない! というデキにしたいと思っていますので、ご期待ください!」と、来場者にアピール。
力強い坂口氏の締めのコメントで、イベントは無事に終了となった。

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