岩田さんはWiiに自分の存在理由をかけた

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この連載では、任天堂の家庭用ゲーム機「Wii」の企画を担当した私の経験を基に、Wiiの初期のコンセプトワークや、それを伝えるためのプレゼンテーション、その先の開発プロジェクトなどについて紹介してきました。

そして2006年12月、私たちの思いが詰まったWiiがついに発売されました。
岩田(聡・任天堂前社長)さんはWiiの開発を振り返り、「自分の存在理由をかけた戦い」と表現したことが、私の心に強く刻まれています。

連載最終回となる今回は、Wii発売後の任天堂の施策について振り返りながら、岩田さんがしようとしていたことについて、私なりの考えをお話したいと思います。

●ユーザーは本当にほしい商品を知らない
コンセプトとは、直接お客さんに伝えるものではないと私は考えています。
例えば、Wiiの箱や説明書に「これはご家庭のお母さんに嫌われないように設計しました。
どうぞお母さんもお楽しみください」「これはリビングで遊ぶと楽しいゲームですので、ぜひリビングに設置してください」と書いてあったところで、それを実行する義理などユーザーにはありません。
わざわざお店に行ってお金を出してまで商品を買っているのに、なぜ作り手の意図にまで従わなければならないのでしょう。

けれども、Wiiは「家族皆で、特にお母さんに好きになってほしい」「リビングルームで楽しんでほしい」といったコンセプト(=大切な思い)を持っています。
そんなコンセプトを全仕様に込めたとはいえ、伝わるかどうかは未知数です。

そこで必要なのが、市場調査です。
一般的に市場調査は、プロダクトを企画する前に「どこにお客さんがいて、どんな商品を求めているか」を調べ、それをベースに企画を考えるという形で用いられますが、任天堂は商品を出した後に調査しています。
米Appleの創業者、故スティーブ・ジョブズ氏は「ユーザーは本当にほしい商品を知らない」と言ったそうですが、確かに考えてみると、当時、「Wiiみたいな商品がほしい」と言えたユーザーは本当に少なかったのではないかと思います。
そうなると、市場調査を基にした企画ほど、的外れな行為はないと言えます。

任天堂はWii発売後、「家庭内プレイ人口」という調査をしています。
Wiiが1台売れて、日本のどこかの家庭に設置されたとき、そのWiiは何人で遊ばれているかという指標です。
調査の結果、Wiiは3.5という、類を見ない数字を叩き出しました。
当時の一世帯あたりの人数は2.5程度ですから、いかにWiiが家族や親族など皆で遊ばれたかが如実に数字で表れました。

そのほか「Wiiリビングルーム設置率」も83%という非常に高い成果を上げました。
当然のことながら、説明書にも箱にも「リビングに設置しろ」なんて書いてありません。
ユーザーは商品のCMやホームページなどの前情報と、Wiiの化粧箱や商品自体の形、機能を情報として認識した後、何となく「これはリビングに置くものだな」と理解し、自発的にリビングに設置したわけです。

このように、コンセプトを仕様に変換して商品をデザインすることにより、ユーザーは暗にコンセプトを受け取り、行動に移すという現象を引き起こすのです。
逆に言えば、どれだけコンセプトを声高に叫んでも、ユーザーが共感することはほぼないと言っていいでしょう。

加えて、注目すべきこととして、発売後の市場調査によって得られることは「コンセプトが伝わったか」のみであり、売り上げに直接関係するものではありません。
しかし、売り上げよりも重要なのです。
すなわち、「ユーザーにコンセプトを伝えるという自分たちの能力は、どのぐらいの精度があるか」を把握できるからです。
ここで得た手応えは、売り上げにも勝る自信につながります。

ところで、先ほどCMという話題を出しましたが、当時の任天堂のCMは、明確にそれまでのゲーム業界の慣習とは異なったものを制作しています。
WiiのCMには、際立って「ゲーム画面が出てこない」のです。
ゲームのCMなのに、ゲームが出てこない。
ゲーム画面の美しさを作り上げるために、ゲーム会社は膨大なリソースを割いています。
お金をかけたからこそ、CMに出したくなるのが人情というものですし、それが岩田さんの立場(=社長)ともなれば、なおさらのはずです。
にもかかわらず、なぜ任天堂はそれをしなかったのでしょう。

これもやはり、コンセプトに理由を求めるべきです。
Wiiは家族皆に楽しんでほしいゲーム機でした。
Wiiによって家族というものをより楽しいものへと変えたかったのです。
Wiiを買う前と後とで、家族がより楽しくなることこそが、お客さんにとってのWiiの本当の価値でした。
だからこそ、CMからゲームが消え、「Wiiを買うと、家族がこんな感じに楽しくなりますよ」というメッセージを発しているのです。

●自分の存在理由をかけた戦い
成熟したために衰退しつつあったゲーム業界の閉塞(へいそく)感の中で、事前の市場調査をすることなく、自らの心の中にある本当に大切なことに耳を傾け、コンセプトをまとめ、プレゼンによって仲間の共感を得ました。
過去の慣習にとらわれず、コンセプトのみから仕様を作り上げ、発売後ですらコンセプトを守る。

今となれば「コンセプトが芯を食っている」ことを知っていますが、当時はそのコンセプトが正解であるかどうかの確証はどこにもありません。
そんな強烈な不安の中でも、岩田さんが前に進み続けた理由は何でしょう?
それはまさに「自分はゲームが好きだ」という心の根っこにある大切な思いであり、皆がゲームを好きになる世界を作るためには、どんなリスクもいとわないという態度であったと思います。

だからこそ、岩田さんにとって、Wiiというプロダクトの開発は「自分の存在理由をかけた戦い」であったのです。
Wii発売後に社会で起きた無数の驚くべき現象、例えば、老人ホームでWiiが流行っているというニュースを話すときの岩田さんは、震えるほどに(実際少し震えていたのではないかと思うのですが)嬉しそうだったことを思い出します。

私個人も、Wii発売後、地元の青森県八戸市に帰省したとき、本家に集まった従兄弟がWiiのボウリングで盛り上がる様子を見ながら、何かが心に込み上げてきて、「すべてが報われる」としか表現できないような感情を経験しました。

一方で、そんな状況を冷静に観察する自分は、こうも感じていました。
自分の存在理由をかけた仕事しかできない身体になってしまった、と。

だからこそ、私はその後、任天堂を退職し、地元に戻ったのでした。
私はWiiを企画すると同時に、私自身の人生はWiiによって決定的に変えられました。

●自分、そして相手の心を変えること
とあるイベントで、岩田さんと一緒に登壇するという機会がありました。
そこで私は岩田さんに「こういうイベントのときって、緊張しないんですか?」という、今考えるとずいぶん間抜けな質問を投げ掛けました。
すると岩田さんは、満面の笑みを浮かべて、こう言いました。

「えーとね……あきらめました!」
緊張するのは仕方ないことだけど、自分がしなくてはいけないことや、したいことを止めるわけにもいかない。
だからこそ、緊張が発生すること自体をあきらめる。
緊張することが悪であるという考えそのものを、あきらめる。
そして、緊張そのものをなくそうとするのではなく「緊張の中で、なすべきことをなす自分へと変えていく」のだと。

ある問題に対して「問題を消す」のではなく、「自分の価値観を変える」ことで対処する、そんな哲学を私は岩田さんから学びました。
考えてみれば、プロダクトにコンセプトを込めることも、コンセプトをプレゼンで伝えることも、相手の心を変えることが最大のゴールです。
ある時点では「ほしくない、特に何とも思わない」と感じているお客さんの心を、「ほしい」という心に変えることこそがビジネスの根底ですから、あらゆるビジネスは相手の「心を変えること」がすべてであると言っても過言ではありません。

他人の心を変えるという行為は、ややもすれば高圧的で強制的で、暴力的な色彩を帯びることがあります。
しかし岩田さんは、ゲームという形で、優しく温かく、お客さんが自発的に自分の心を変えていくという体験を作るプロでした。

この連載で紹介した岩田さんの発言の中に「こうしなさい」という言葉が1つもないことが、何よりの証拠です。
すべての岩田さんからのコミュニケーションは、受け手が自分でその大切さに気付くという体験を期して、優しく、そして温かくデザインされていたのでした。

岩田さんに心から感謝し、ご冥福をお祈りします。

(玉樹真一郎)

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